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アメリカの公教育史 The Teacher Wars: A History of America’s Most Embattled Profession by Dana Goldstein

アマゾンのおすすめにThe Prize: Who's in Charge of America's Schools?という本がありました。フェイスブックの創始者で大金持ちになったザッカーバーグという人が、全米でもっとも貧乏な地域の学校に1億ドル(自治体拠出分を合わせて2億ドル)もの慈善事業を行った経緯を追ったもののようです。面白そうだったのですが、よく考えるとアメリカの公教育について、あまり成功していないようだという評判以外、私はほとんど何も知りません。そこで表題の本を読んでみることにしました。

アメリカの開拓時代、西へ西へと生活圏を広げていく開拓民の子供達に対する教育はないも同然でした。教師は不足していますし、州の予算も潤沢ではありません。そこで女性の力を活用しようという運動が起こります。昔のことですから、女性の就ける仕事は限られており、結婚以外に女性の選択肢がほとんどなかった時代の話です。夫や家族に奉仕する以外にやりがいを求めたり、宗教的使命感に燃えた女性は教育者として適任だとされ、自治体も当時男性に比べて給与の安い女性に教師になってもらうことは予算の上でも望ましいと考えました。かくして短期間の教師養成教育を受けた女性教師がアメリカ各地に赴任することとなります。

この辺りの話は日本と比較すると大きく違っていることが判ります。不勉強を承知で書かせて頂くなら、明治維新以後、日本の目標は欧米へ追いつくことでした。富国強兵、国民国家とそれを担う国民の養成は大きなテーマであり、教育には力を入れました。教師の養成に師範学校を作り、何をどう教えるかには常に国家が関与しました。教師はまた、地域においてはとても偉い人でした。校長ともなれば、地元の名士です。給与も地域の水準からすれば決して安くはありませんでした。

ですが、アメリカでは公教育の学校の先生は当時社会的な地位の低かった女性の仕事と見なされる面があって、教師は必ずしも尊敬されていませんでした。教員養成用の教育も数ヶ月ですし、そもそものところ良家の子供達は私立の寄宿学校に行くものなので、公教育の学校は貧しい家庭の子供達に基本的な読み書きを教えるところという扱いだったのです。

時代は下り南北戦争後、表向きには解放された黒人の子供達と白人の中流家庭の子供達の教育上の達成度の差が大きな問題になり、これはこの後も移民の流入が続くアメリカの中で移民の多く住む地域や貧乏な地域と白人地域のギャップをどうやって埋めていくかという問題として現在まで続いています。赤狩り公民権運動など政治的な激動の中で、公教育の教師は大変影響を受けやすい職業でもありました。教師の人種、個人的信条や活動によって、すぐに首にされてしまうような状況が続いたので、組合による交渉で在職権も確保できたり、教師の経済的な待遇は徐々に改善されていきます。が、何をどう教えるかということについては教師の個人的な裁量に任される部分が大きくありました。貧しい地域では、より高度な教育よりも規律正しい生活、親が仕事から帰ってくるまで学校が生徒を預かってくれる保育所のような役割が期待されたこともありました。生徒のためにどういう教育をするのかで、一流校を目指して古典や数学を重視するのか、職業教育を重視するのかで論争が起こったりもしますが、この状況は20世紀後半になって一変します。

産業化が進んだ結果だと思うのですが、優秀な労働力を求める産業界から公教育への改善要求が強くなります。レーガン大統領時代の「危機に立つ国家」という大きな影響力をもった報告書なども出され、当時流行っていた従業員を点数により評価する人事制度をモデルに、公教育へもテスト重視の風潮が公教育へ持ち込まれます(それ以前にも教員の評価制度はあったものの評価基準が主観的過ぎたり、いたずらに事務作業が増えたりでうまくいっていませんでした)。また教員養成の主流は大学での教員養成課程に移っていましたが、大学の成績の良くなかった層が教員となっていました。しかも教員の社会的ステータスの低さや教育環境の悪さなどから離職者も目立ち、教員の不足、特に質の良い教員の不足も問題となります。

そこで民間主導でTeach for Americaという、一流校の卒業生を対象に2ヶ月程度の研修期間によって仮の教員免許を発行し、取りあえず2年間公立の学校に派遣して教師をやってもらおうというプログラムが出来る一方で、連邦政府としては生徒のテストの成績を上げることが出来る教師には成果給を出し、上げられなかった教師には指導や停職、または学校そのものの再編までしてしまおうということになりました。オバマ大統領に至っては、その政策Race to the Topの目的の一つは無能教師を辞めさせることだと強調したこともあるほどです(公教育においては州政府や学区に権限があります。連邦政府としては連邦政府の方針に従ってくれる州政府には補助金を出すという形で連邦政府の政策を実施するということになります。ただ、平均して公立校の予算の10数%が連邦からというように連邦政府の影響は決定的ではありません)。

「いかなる定量的な社会指標でも、それが社会的な意思決定の場でより多く用いられるほど、その指標は退廃への圧力を受けやすくなり、その指標が監視するはずの社会的プロセスを歪曲し、堕落させがちになる」(訳文は「テストと公教育」http://www.p.u-tokyo.ac.jp/sokutei/pdf/2005_02/p215-254.pdfより)というキャンベルの法則という格言があるそうですが、テストの結果が教員や校長、学区長のボーナスや進退、学校の再編まで左右することになったこどで、まさに歪曲と堕落、カンニングが横行します。

テストは当初英語と数学で行われたので、美術や音楽の先生に協力してもらって実技を減らし、鑑賞文を書かせるとかで実質英語の授業にしてテスト対策に当ててみたり、テスト当日には出来の宜しくない生徒と良く出来る子を並べて配置してみたり(意味は判りますよね)、もっと直接的に回答後の生徒の答案の改竄までが行われたりしました。総額58万ドルものボーナスを貰った監督者が組織的なカンニングを主導していたこともあります。

また、英語や数学の教師だけが生徒のテストの結果で評価され、美術や音楽の教師は学校ごと自分の教えている教科とは関係なく評価されてしまうのは不公平だということで、美術や音楽にもペーパーテストが導入されるようになり、実技や鑑賞の時間が短くなります。教えているほうにも面白くないので離職率も上がります。

良くないことが起こる反面、テストの結果が蓄積されることでどうやったらテストの結果を上げられるのか、どういう教師がテストの成績を上げられるのかについて統計的な研究が進みます。良い教師の平均像は、生徒に対して高い期待を持って接し、生徒と同じ人種で30歳以上、子供を持つ親であり大学を出てから数年の教師以外の労働経験を持ち、生徒と同じ地域に住んで地域の実情を良く知っている、といったものです。科目に対する深い知識は持っていても教師の学歴はあまり関係がない。大学の教職課程以外の教員育成プログラムの出身でも生徒の習熟度に差は出ないらしく、むしろ教師の出身階層からすると、教師という職業が出世と見なされるような低めの出身階層であることも重要とか。親戚や周りが弁護士や会計士、企業の経営者や重役ばかりのところで公立学校の教師をやるのはモチベーションが下がるらしいです。成果給については成績の向上とあまり相関がないようで、ボーナスが付くからといってやり方が変えられるわけでもなく、教師は現状出来るだけのことをしているとのことです。

教え方についても一方的に講義してプリントをやらせるよりも生徒に質問するほうが有効で、しかも直接的な知識を問うよりも、レベルの高い考えさせるような質問の方がいいらしいことも判ってきて、そういうスタイルが流行ります(教育関係の一般書の書評には、この教授法への批判がありました。基本的な知識の欠如したわりに自分の意見だけには達者な生徒を量産していて、おかげで大学では高校の範囲の復習にかなりの時間を割く羽目になるらしいです)。例に挙がっていたのは「ヒトラーは何年にナチ政権を樹立しましたか?」と問う代わりに「ヒトラーが政権を取れたのは当時のドイツが社会的政治的経済的にどのような状況にあったからですか?どのような要因があなたは重要だと考えますか?それはなぜですか?」みたいな質問をするというやり方でした。確かにこれはきちんと答えられれば本一冊にもなる代わりに、適当にイメージだけで答えることも出来る設問です。

 テストによる結果で上から評価されることに反発した教師側も教師相互の評価を始め、人事評定に加味することを求めるようになります。アメリカの学校では「教室内の自治」が重視されて、授業中のクラス運営は教師に一任されることが多いのですが、特に新しく先生になった人は生徒を授業に集中させることに苦労します。荒れた地域の学校だと、どうしても授業にならないこともあって生徒の成績も上がらない。だからこそ教師の離職率の高さもより問題になります。ある程度ベテランになるとうまくやれるのですが、そうなるまでは各自の努力に任される面がありました。教師相互の評価が行われるようになると、お互いが授業で何をやっているのか、観察するようになり、授業の研究も進むようになります。評価の低かった教師にも指導役の教師がつくようになります。この辺りは、集団的な授業研究の進んでいる日本とは大きく違うところだと言及がありました。

先に書いたTeach for Americaの先生はほとんどが始めて教室運営をすることになるので、その弱点をカバーするために「No Excuses(言い訳無用)」という規律を重視した教室運営をすることが多いともありました。生徒に対する期待も高く、小学生の授業風景で「君達が勉強するのは何のためだ?」「大学のため!」なんていうのは日本の中学受験の風景を思わせます。

 制度面ではさらに、公募型の実験校という感じでチャータースクールというのが出来ました。地域の親や活動家などが申請することで学校が作れます。資金は主に自治体からですが、慈善事業資金も受け入れます。カリキュラムも申請目的に沿っていれば公立校の枠組みに縛られません。一見良さそうにも見えますが、やる気のある子供をチャータースクールが独占してしまって、普通の公立学校が余計に荒廃するとか、特定人種に生徒が偏り人種隔離を進めてしまうとかの批判もあります。教師に対する要求も過大でとにかく休みもなければ、代わりの教師がいないので病気で休むこともできないとか、働く側にとっても、つらい側面があるのだそうです。チャータースクールを営利目的で運営する会社も現れました。

教師なりたての一年目に教室運営で苦闘するという問題に対応するためurban teacher residencyという民間のプログラムもあらわれました。最初の教師養成プログラムの中にベテランの教師の指導付きで給与を貰いながら実地で教師の実務がどのようなものか学べます。そのかわりというか、実際赴任してから4年以内に辞めてしまうと罰金を払わなければならないのだとか。導入部分に力を入れた成果なのか、4年を越えても働き続けてくれる教師が多いことが特徴なのだそうです。

教師の能力ばかりに矛先が向きがちではありますが、生徒の達成度は学校外の要因に大きく左右されて、教師の影響は7%くらいの寄与だとも書いてありました。ただ、一部の最上級の教師はわずかですが統計上有意な生涯収入の差(1.3%)をもたらすことが出来るのだとか。生涯収入向上の例には中退率が下がるとか、10代での妊娠率が下がるとかが挙がっているので、どういう地域で統計を取ったのがよく判ります。中退率ついでですが、小学3年生までで読む能力で劣ると有意に中退率が上がるそうです。小さい子への読み聞かせはやはりとても有効なのだそうです。

さて、アメリカの公教育の特徴はそれがきわめて分権的だということです。ですから何か変えなきゃいけないとなった時に自治体や活動家、親、慈善家などがそれぞれに改革を模索します。ダイナミックである反面、長期的な視野には欠けることがあって、自治体や慈善家の方針変更に左右されやすく、学校の運営の仕方がころころ変わって結局生徒が割りを食うということにもなりがちです。安易に真似することは避けたほうが良さそうですが、色々と実験的なので他山の石として見る分にはとても興味深いと思います。

マーク・ザッカーバーグの寄付、驚愕の「使途」 | The New York Times | 東洋経済オンライン | 新世代リーダーのためのビジネスサイトという記事の最後に「子の最善の利益」は「子供が潜在能力を存分に発揮するための力を最重要視するという、単純明快な発想だ。」とあります。実にアメリカ的な考え方だなと思うのですが、潜在能力というのは教師も親も本人さえもよく判らないものです。ちょっとやってみたからといって潜在能力が開花するというものでもないと思います。一人一人の子に専門チームが組めるような資源があるならともかく、公教育が目指すものとしてはハードルがあまりにも高く、かつ異質だとも思うわけです。日本では学習塾か予備校、各種教室や習い事の範疇に入るものを公教育に要求するようでは、アメリカの先生達の受難はまだまだ続きそうだと思わざるを得ません。

追記

日本の小学校では英語が正規の科目ではないもののすでに授業に取り入れられています。会話の練習などが主で習うより慣れろ方式のようですが、これを正規の科目に格上げしようという話になっているようです。私は小学校から英語を学習する必要はあまりなくて、むしろ国語というか日本語を熱心に勉強したほうがいいんじゃないかと思っていましたが、最近考えを変えつつあります。

家庭や塾などで中学以前に英語を習うことが増えてきて、このあいだ会場受験で英検5級を受けてきた子の話によると会場は小さい子供で一杯だったそうです。そういった子達にとっては中学1年の英語は軽い復習です。自ずと学校の授業の進度は上がります。5年位前は中学1年生の1学期の中間テストはアルファベットの書き取りと簡単なあいさつ文が出来ればいいとか、テストするべき内容まで進まないのでテスト自体がない場合さえありましたが、今ではしっかりbe動詞の英作文までが試験範囲です。

そうなるとしかし、塾にも通わず小学校の英語をお遊戯程度に考えていた生徒にとっては付いていくのは至難の業です。英語の文構造に慣れる以前に次から次へと新しい文法事項が増えてきて混乱してしまいます。英語に関しては出来る子と出来ない子の差が数年前以上にはっきりしてきた感があります。

教室の中の習熟度の差が激しいことが問題なのですが、自主的に英語を学んでいる子達に勉強するなというのもおかしな話なので、塾に通っていない子供達のために小学校からの英語の正規化も止むを得ない、そうでもしないと中学校の授業が授業にならないのではないかと思ようになりました。

チベットの抵抗 Buddha's Warriors by MIKEL DUNHAM

もうリンクが切れてしまっていますが、9月の終わり位にニュースを見かけました。中国 チベット自治区成立50年祝う式典 NHKニュースチベットに共産中国が何をやらかしたか、やらかしているかについてはネットで断片的には知っていたのですが、これを機会にちゃんとしたものを読んでみたくなりました(もしかして、この記事を読んで調べてみたいと思われた方へ。かなりグロい記述を含んでいることがあります)。

最初にArrested Histories: Tibet, the CIA, and Memories of a Forgotten Warという本を読み出したのですが、途中で著者が哲学を語り出したので付いていけなくなり、次に買ってきたのが表題の本です(題名は「仏陀の戦士」ですが、そのままでは訳がわからないので勝手に表題を付けさせてもらいました)。序文をダライ・ラマが寄稿していて、期待が盛り上がります。

共産中国がチベットに侵攻する少し前、第二次世界大戦の辺りから話は始まります。平和に昔ながらの生活を営んでいたチベットの人たちに取って、戦争は遠い出来事でした。中国人もいましたが、国民党は腐敗しており、特に大きな問題を起こす存在ではありませんでした。しかし、国共内戦で勝利した共産党チベットに侵攻を始めます。戦力で大幅に劣る重要拠点の守備隊長はあっさり逃亡、その後、侵略者への同調者となります。首都ラサの支配層も融和的で地方による散発的な抵抗こそありましたが、チベット人民解放軍の駐留を受け入れます。一番中国に詳しいからという理由でなぜか先の同調者がメンバーに入った交渉団は中国による恫喝と脅迫の結果、ラサ政府とダライ・ラマの許可なしに十七か条協定を締結し、チベットは中国の支配下に入ることになります。世界の目が朝鮮戦争に釘付けになる中、当初の2年はおとなしく振舞っていた中国はチベットへの道路の完成が間近になるとその本性を露わにし、抑圧を始めます。dismembered、vivisectなど、はじめて見る英単語が飛び交います。寺は焼かれ、僧侶は迫害されます。ダライ・ラマも国外へ脱出します。中国への抵抗を通じてナショナリズムを獲得したチベットの人たちは反共政策を取っていたアメリカCIAの協力を得て、武力による抵抗運動を始めます。私もCIA頑張れとか珍しい感情を抱きます。

ですが、これは悲しい物語です。アジアの平和を夢見るインドのネルーは中国の暴虐に目をつぶり、CIAもアメリカ国内の政治事情に翻弄され思うような支援が与えられません。チベットの抵抗軍も局地的には善戦するものの、数で圧倒的に勝る人民解放軍にやがて圧倒されます。

ついにはアメリカと中国の国交回復によってアメリカのチベットへの支援は打ち切られ、武力闘争も終結します。アメリカは中国と協力して、アメリカにとってより大きな脅威であるソビエトを封じ込める方向を選びました。チベットに押し寄せた文化大革命により、残された寺院も破壊され、チベットの文化も蹂躙されました。その後、チベット人の手によって再建された寺院は観光地化され、中国の外貨獲得手段となっています。入植してきた中国系住民によりチベット自治区内でさえ、チベット人は少数派となりました。インドにある亡命政府は自治権の拡大を訴えて活動を続けていますが、現在のチベット自治区はかつてのチベットに比べれば縮小されてしまっていて、仮に独立を勝ち取ったとしてさえ、帰る場所のない人たちが多くいます。

著者もまた、「もし、機会が訪れたとして、掬い上げるべき古きチベットは残っているのだろうか」と疑問を投げかけます。迫害を逃れてインドのキャンプに暮らしているチベット人も長い国外生活で変容を始めています。著者がその環境をアメリカ先住民の居留地になぞらえている所は複雑です。

こうなる前に何とかしなければいけなかったのでしょう。侵略を受ける前のチベットはあまりに外の世界に対して無知でした。支配層は侵略者がどのような連中なのかも知らず、目先の安全と自らの利益の保全に飛びつきました。最高指導者のダライ・ラマは責任を負うには当時あまりに若過ぎ、そして政治家というよりも僧侶でした。本の中にダライ・ラマが誘拐される危険もあるのに北京からの招きを受け入れるかどうかについて、神託に問う場面があります。これではさすがにまずいだろうと私でも思います。

お花畑は美しい。平和というお題目は美しい。ですが、それは同時にとても恐ろしいことだと本を読みながら痛切に感じました。何よりも国際社会の現実に目を向けなければいけないと思います。信仰が暴力を禁じていたとしても、お花畑なだけでは信仰もまた破壊されてしまうのです。

 

ベン・カーソン(2016年大統領選挙)Ben Carson: The Pros and Cons by Donald R. Michaels

 共和党指名争いで1位のトランプ氏に続いて、2位を走っているのがカーソン氏です。

政治家の経験も実業の経験も一切なしの元脳神経外科医という、アメリカの大統領選挙候補者としては異色の経歴を持ちます(もし当選すれば、政治家経験なしの大統領は第二次世界大戦で軍の超大物だったアイゼンハワー大統領以来となります)。

カーソン氏はアフリカ系アメリカ人の貧しい家庭に生まれました。8歳の時に両親が離婚しています。母親は13歳で結婚していたので、小学3年生までの教育しか受けておらず、幾つもの薄給の仕事を掛け持ちしながら苦労してカーソン氏とその兄を育てました。カーソン氏は子供の頃、荒れていた時期もあったのですが、高校卒業後に働いたお金と奨学金により名門イェール大学に入学、心理学を専攻し、その後ミシガン大学メディカル・スクールに進み、医者になります。全米トップと言われるジョンズ・ホプキンス病院で脳神経外科医として活躍し、頭部で結合した双子の分離手術の成功などにより広く世に名を知られるようになります。2013年に医師を引退することを発表した後、新聞のコラムニストなども勤めました。数多くの論文と6冊のベストセラーの著者でもあります。

カーソン氏は2014年に共和党員として再登録するなど、共和党員としての経歴は浅いのですが、移民、同性愛者の結婚、銃規制に反対など政治的なスタンスは共和党の典型と言えるものです。熱心なキリスト教信者であり、セブンスデー・アドベンチスト教会のメンバーでもあります(読んだパンフにはエホバの証人と書かれていましたが、エホバの証人は立候補などしないことになっているらしいので、この記述は誤りでしょう。他にも幾つかwikipediaと矛盾する記述があるのですが、この記事ではwikipediaとパンフが矛盾したときにはwikiを優先させています)。基本的に中絶にも反対ですし、気候変動にも懐疑的です。進化論を学校で教えることにも批判的で、進化論者は非倫理的であるとさえ示唆しています。アフリカ系アメリカ人ではありますが、人種がらみの騒乱も人種に起因すると考えるべきでなく、個人としての責任感や公的な権威に対する尊敬の欠如、麻薬やアルコールを簡単に手に入れられることなどによって生じる問題を考慮すべきだとしています。社会保障は依存を生み出しているとして削減を支持し、外交政策タカ派です。医療保険改革ではいわゆるオバマケアに反対で、さすがに元医師なだけあって、この問題では共和党候補者中最も説得力があると評する論者もいるとか。トランプ氏ほどあからさまではありませんが、ポリティカルコレクトネスにも批判的です。

さて、著者の見立てではカーソン氏の利点はまずは自身がアメリカンドリームの体現者であることです。また、カーソン氏自身が素晴らしく優秀であろうことも疑いないでしょう。恵まれない身の上から苦労して医師になり大成したカーソン氏の経歴は、親がお金持ちで私立育ちのおぼっちゃん、トランプ氏と比較するとより際立ちます。黒人の共和党員は「白人に協力する黒人」として運動家からは嫌味を言われたりするらしいのですが、それでも一般黒人層の支持を取り付けられる可能性があります。欠点と言えば、演説の時に細部に拘泥しすぎて何を言っているのかちょっと判らない表現になってしまっていたり、ポリティカルコレクトネスを軽視するので、マスコミに揚げ足を取られがちな点がありますが、この点においてはトランプ氏が遥かに上を行くので大して目立ちません。流石にヒラリー・クリントン氏には勝てませんが資金集めも順調です。さらにこのまま2位の状態で指名争い後半になったとすると、勝てる見込みがなくなり脱落していく候補者が支持する相手として、トランプ氏よりもカーソン氏を選ぶ公算は高いとパンフの著者は述べています。ただ、あまりにもがちがちの共和党路線なので大統領選挙の本選となった時に支持政党なしの浮動層の支持を得られるかは疑問です。政治家経験のなさが災いして、あまりに原理原則にこだわると自滅する可能性もあります。もっとも自滅という点ではトランプ氏の大失言の方がありそうかも知れませんが。

オバマ大統領はイリノイ州議員の経歴もありますが、上院議員としてはわずかに一期を勤めただけでした。旧来の政治に対する疲労感により、何か新しいものを求める心情は確かにあるようで、共和党指名争い序盤では有利と見られていたブッシュ一族のジェブ・ブッシュ氏は5位に沈み、3位グループを形成するのはマルコ・ルビオ氏とテッド・クルーズ氏といういずれも40歳代の若い政治家です。トランプ氏や「完全なるアウトサイダー」カーソン氏もこの、政治に対する倦みといった心情の下ではかなり戦えるのではないかという気が個人的にはしてきました。本選になっても、資金力と知名度ではヒラリー・クリントン氏が圧倒的ではありますが、若さと勢いで地滑り的勝利を飾ったオバマ大統領のような選挙戦が再び展開されないとも限らないと思います。

早く堆肥を作る方法 How to Compost Quickly, in as little as 7 to 10 days, without a Bin by Edley McKnight

秋も深まり、近所の公園の木々も次々と紅く染まり始めました。ひっきりなしに落ち葉が落ちていて、足元には吹き溜まりが出来ています。そう、腐葉土作りのシーズンの始まりです。

毎年、公園から落ち葉を集めてきては庭に掘った穴に埋めてはいるのですが、半年くらいではあまり店で売っているような腐葉土にはなりません。狭い庭なので穴も邪魔だし、掘って出てくる土も邪魔です。腐葉土をホームセンターで買ってくるという手もあるのですが、売っているのもピンキリで、木の葉を細かく砕いただけのような代物から、真っ黒で掬ってみると手の中でほろりとほどける様なものまでさまざまです。ただ、良い物はやはりお高いのですね。何かうまい方法はないだろうか、とは思っていましたが、ちょうど良さげな無料パンフレットがあったので、話半分で読んでみることにしました。

パンフの中で紹介されている方法で良さそうなのがありました。

材料は落ち葉、黒のビニール袋、肥料、水に堆肥を入れて数時間たったもの、土や砂です。手順は

  1. 落ち葉を土や砂で薄く膜が出来るように覆い
  2. スプレーで肥料と堆肥水をかけ
  3. かき集めて黒のビニール袋に入れて太陽の当たるところで放置

だそうです。良い状態では10日ほどで腐植になるんだとか。肥料の分量とか何も書いていないので、若干不安要素はありますが、手法自体は理に適っている様な気がします。個人的な経験では葉っぱ同士が密着して板状になっていたところは分解が遅かったように思うので、土でそれぞれの落ち葉をコートするのは良いアイデアなんじゃないかと思うわけです。菌の種や肥料を与え、温度を上げるのも菌の活動を早めるには良いように思います。ただ、臭いはどうなんでしょうねえ。著者はFish Emulsion fertilizer(魚粉みたいなものかな?)を使っているのですが、密閉した嫌気状態で腐敗が進むと、もしかすると水アブを呼び込んで悲惨なことになる予感もかすかにします。ですが、これはやってみないと何とも言えません。公園でかき集めてまだ埋めてない落ち葉も二袋ほどありますので、近々黒のビニール袋を買ってきて挑戦したいと思います。

追記(腐葉土メモ)

11月24日、お米屋さんに行って貰って来た米ぬか2カップ、昔に落ち葉を埋めていた土2カップ相当を水1リットルと混ぜ合わせて泥をつくり、落ち葉によく混ぜ合わせてから黒ビニール袋に入れて口をしっかり縛りました。寒くなってきたことですし、一ヵ月後取り出しの予定。何か楽しい。

ブックリスト

アフィリエイトツールを利用して、このブログで扱った本のブックリストを作ってみました。ページの右下に置いてあります。

パンフレットの類の多くはアメリカのアマゾンの無料本ですが、日本のアマゾンのリストでは有料で表示されちゃってます。

楽天koboで買った本とKindleでしか扱っていない本で2種類のリストを作ってみたのですが、同じようなことをやっても、楽天とアマゾンのセンスの違いが露わになってしまいますね。

カーリー・フィオリーナ(2016年大統領選挙)CARLY FIORINA: Everything There Is To Know About Carly Fiorina

2ちゃんのまとめサイトを見ていて、トランプ氏、仏民間人が銃持っていれば「事態は違っていたかも」 写真7枚 国際ニュース:AFPBB Newsという記事を見つけました。

まとめのほうでは「さすがトランプ、頭おかしい」みたいな意見が大勢を占めていました。演説している場所がテキサス州ということもあってリップサービスが含まれているかも知れません。ただ、トランプ氏は民主党候補と比べれば断然銃規制反対派ですが、銃所持許可のための待機期間を長くしようとか言っている分、他の共和党候補よりは銃規制派よりなのです、これでも。実際、銃規制に関しては要件さえ満たせば拳銃の保持が認められる州が多数を占め、しかも増えつつある現状、フランスのAFP通信こそニュースにしましたが、アメリカではトランプ氏の発言は奇異とは受け取られないと思います。

個人的にはトランプ氏の言っていることはあながち的外れとも思いません。EUに加盟している大陸国で、テロリスト予備軍と武器の流入を抑えることはアメリカと同様にほぼ不可能だと思います。このあたりの事情が一般社会への銃器の流入がほぼ抑えられている(と信じられている)日本との大きな感覚の差になるのだと思います。

さて、本題のフィオリーナ氏ですが、今のところ共和党候補の人気三番手だとパンフには書いてあります。一位トランプ氏、二位ベン・カーソン氏に続く位置ですね。名前でわかるとおり女性候補です。選挙戦当初は泡沫候補扱いでしたが、討論会でとても映えるので、テレビ討論会の度に支持が拡がっています。

フィオリーナ氏は大学では中世史と哲学を学んだ後、ロー・スクールに入るもドロップアウト、25歳でAT&Tに管理職訓練生として入社、働きながらMBAを取得、副社長にまで昇進し、ルーセントテクノロジーの分社化、株式公開などで手腕を発揮、ヒューレット・パッカードのCEOに招き入れられます。立志伝中の人物ですね。ところがここから先がよろしくありません。ヒューレット・パッカードではパソコンの製造販売会社コンパックとの大型合併を行いますが結果的には大失敗、イランなど禁輸措置国への迂回取引など法の抜け道を使った取引でも悪評を立て、さらにはコンパックとの合併で増えた人員の大量首切りなどヒューレット・パッカードの企業文化にも悪影響を及ぼしたということで多額の退職金付きではありますが、首になります。その後、幾つかの慈善団体や女性活動に参加し、2010年のカリフォルニア州知事選挙に共和党から出馬、共和党の支持は勝ち取りますが、現職で超強力なバーバラ・ボクサー氏には敗れました。

政治的スタンスで共和党らしくないのは、麻薬関係ですね。この人は一度離婚してから別の人と再婚していますが、その再婚相手の連れ子の一人を麻薬中毒で亡くしているので、麻薬中毒は犯罪者として罰するよりも治療が優先されるべきだとしています。くだんの銃に関してはトランプ氏よりもはるかに規制反対でセミ・オートの銃まで持てるようにしようとか、テロリスト・スクリーニング・センターの作っている、民間航空機に乗る許可が出ていない人リスト(No Fly List)に載っている人も銃を持っていいとか言っています。

フィオリーナ氏はトランプ氏とベン・カーソン氏の両方の利点を併せ持っているとパンフには書いてあります。トランプ氏のようにビジネス界での大物であり、討論会での主張の仕方をしっています。また、カーソン氏のように読ませる自伝を書きます。カーソン氏は脳神経外科医で、何冊も本を書いていてしかもかなり感動的なものらしいです(カーソン氏については無料のパンフを見つけたら読んでみたいと思ってはいます)。フィオリーナ氏もビジネスでの経験や再婚の時の経験を生かして本を書いています。女性候補なのも大きな利点です。民主党ではクリントン氏がリードしていますので、同じ女性の立場(女性差別と言われない)で徹底批判できるのは強みですし、共和党の弱点である女性票を期待できるのも大きいです。ただ、ヒューレット・パッカード時代の悪評は大きな弱点として残るでしょう。

 

共和党の候補者争いでは今のところの上位三名がいずれも政治家経験一切なしというのもどうなんでしょうね。民主党クリントン氏が議会経験では他を圧倒しているので、却って新鮮なのかも知れませんが、実際、大統領として仕事が出来るのかってなった時には不安要素いっぱいだと思います。まだまだ先は長いので、何とも言えませんが共和党でもそろそろ本職の政治家に頑張ってもらいたい気がしてきました。

追記

このパンフには共和党の候補者争い3番手と書いてありましたが、11月時点ではその他大勢に逆戻りしてますね。

銃規制の400年:なぜうまく行かないのか? Four Hundred Years of Gun Control: Why Isn't It Working? by Howard Nemerov

アメリカでは年に一度か二度、銃の乱射事件が起こる印象があります。日本に住んでいる私からすると、アメリカで銃の規制をなぜもっと厳しく行わないのかと疑問に思っていました。ずっと昔にマイケル・ムーア監督の「ボウリング・フォー・コロンバイン」とかを観た印象もあって、全米ライフル協会って政治力がすごいのかなあとも思っていました。

その全米ライフル協会関係では色んな機関紙を発行しているようで、他にも銃規制に反対する方向で様々な書籍が出ています。アマゾンのレビューでの評価も高かったので本書を購入してみました。

銃規制の400年という題名ではありますが、この本は主に1990年代から2005年までのデータ(本書の発行は2008年)を用いて、銃を規制すると犯罪の発生に対してどういう影響があるのかを扱っています。

最初に結論から述べてしまえば、銃を規制すると犯罪率、特に強盗や殺人などの重犯罪の率は1割から3割上昇します。1997年に全ての拳銃の所持を禁じたイギリスや1996年に火器の所持に厳しい制限を設けたオーストラリア、逆にアメリカで拳銃の所持に対する規制を緩めた各州を比較すると市民が銃を持っていた方が犯罪率が下がるという結論が得られます。

個人的にはにわかに信じられないわけですが、この理由は銃の所持のされ方にあります。銃規制が行われる場合、規制に従うのは主に法に従う普通の人々です。犯罪傾向にある人や犯罪組織の人は法に従ったりしませんから、銃規制は犯罪を行おうとする人にとって有利に働きます(日本的な感覚では犯罪組織も含めて銃規制しろよと思うのですが、アメリカではこれはなかなか難しい。禁酒法時代や麻薬の取り締まりでも苦労していますし、そもそも無許可で銃を持つのは銃の許可法があっても違法です)。では警察があてになるのかというとそうでもありません。犯罪が起こる現場に警察が居合わせることはあまりありませんし、犯罪が起こった後でも重犯罪に対する検挙率は2割程度です。逆に銃の携行を許可する法律のもとでは、拳銃を所持しようとする人に対して犯罪歴や借金の滞納がないかどうかなど、身元に対する照会が行われます。講習や訓練も義務付けられます。実際、正当に銃を保持している人の犯罪率は全体の平均から比べると極端に低くなります。つまるところ、拳銃の携行許可によって私服の警官か自警団を養成しているような感じになるわけです。所持許可はそれなりに面倒なので、住民の1%ほどしか申請しないようですが、それでも犯罪抑止にかなりの効果があります。

家庭に置かれている銃をいたずらして子供が事故死したりする痛ましい事件も起こりますが、年に千件を越える重犯罪の犯罪率を下げるほうがより社会の利益になるし、自動車の事故を防ぐのと同様にその手の事故は家庭内での銃の保管をきちんとすることで防げると著者は言います。実際に事故は管理の過失によるところが大きいのも事実です。

銃規制派の人は銃が社会にあると銃による死者が増えると主張しますが、これにも著者は詳細にデータを挙げて反論しています。規制派のデータは自殺や犯罪者が銃を使用する場合などを全部一緒にして論じています。自殺する人は死にたければ銃がなくても他の手段を使うでしょうし、犯罪者が持っている銃は単なる銃規制では奪うことが出来ません。データを丹念に見ていくと強盗や殺人に拳銃所持許可者が巻き込まれて撃ち合いになった場合でも実際に襲撃者を撃ち殺しちゃったりするのは1割ほどで、犯罪率の低下とも合わせて考えると拳銃の所持許可を与えている州の方がより安全です。

国連は世界的に銃規制を進めようと勧告を出したりしているそうですが、これも著者は気に入らないらしく色々と反論しています。ヒューマンライツウォッチなどによると国連の加盟国のうち、市民的自由がないとされる国が過半数を占めるそうです。国連加盟国をその市民的自由の大きさによって4つに分け、国民一人当たりの銃の所持数を比べると銃の所持数の多いグループが市民的自由が高いグループであることがわかります。専制的な政治を行っている国は一般の国民に銃の所持を認めたりはしませんからね。そんなことをしたらたちまち反乱が起こってしまいます。アメリカの歴史でも銃の規制は最初はアメリカ原住民に、次は黒人に対して行われました。いずれも反乱を防ぐのが目的でした。国民が自己を防衛し、また政府の圧政にたいして抵抗するために銃は必要で、国連が銃規制を進めようとするのも、その過半を占める専制的な国家が国民の抵抗する力を奪おうとする試みじゃないかというわけです。

全米ライフル協会なんかのロビー力についても一章が割かれています。確かに銃規制だけを訴える団体と銃賛成派の団体だけを比べると銃賛成派の団体の方が献金の額は数倍以上に大きくなります。ですが、銃規制は他の多くの政治的問題と関連していて、銃規制派は大体同時に民主党よりです。で、民主党の銃規制派に弁護士団体から献金された額を銃賛成派の献金額と比べると弁護士団体の献金額の方が遥かに多いことがわかります。考えてみるとクリントン大統領やオバマ大統領は弁護士出身ですし、流石に弁護士業界と比べると全米ライフル協会はかすんで見える気がします。

私の個人的な考えではそれでも銃ってないほうがいいんじゃないかと思うのですが、それは単純な銃規制では達成できないと思うようになりました。北風と太陽のお話ではありませんが、国の経済を良くしたり、警察力を強化したりするなど犯罪率を下げるなど国家や社会に対する信頼を深め、銃を奪うのではなく、銃がなくても暮らしやすいと感じる社会を作ることが先決なのだろうと感じました。ブラジルで銃規制についての国民投票が行われたとき、投票直前までは規制派のほうが優勢だったのですが、テレビ討論で銃規制反対派が「あなたは守られていると感じているか?政府はあなたを守っているのか?」と問いかけた時、それに対する反応は圧倒的な「ノー」で、国民投票は銃規制反対派が勝利した、といったことがあったそうです。

アメリカの銃所持許可法のある州に行く時には、合法的に銃を所持している人のそばにいるほうが安全そうではあります。しかしながらもし揉め事が起こりそうなら、いつ撃ち合いになって流れ弾が飛んでこないとも限らないので、急いで逃げたほうがいいと痛切に感じたことも最後に付け加えたいと思います。